2013年8月15日木曜日

終戦記念日によせて

私の祖父も職業軍人で、10年も戦場に行っていました。
ラバウルが主です。
技術兵だったため重宝されて、そんなに辛くなかった、といつも言っていました。
若い人にはおじいちゃん、おばあちゃんも戦後生まれで、戦争なんて遥か昔の歴史上の出来事、と感じる人も多いでしょう。
でも私達の世代では、おじいちゃんというのはたいがい戦争に行っていたものでした。
その祖父も、長生きしましたが、少し前に亡くなりました。
我が家は母一人子一人で、その母も多忙だったため、同居の祖父母にとてもお世話になりました。
いまだ法事には来てくれる、戦友のサイボーグみたいなおじいちゃんもいます。
祖母は現代的な人ですが、それでも歴代天皇の名前をそらんじられます。

戦後生まれの私達の親世代は、GHQにバラバラにされました。
日本を愛さないように、日本人であることを恥じて生きるように教育されました。

私も若い頃はそうでした。軽い左寄り。それが今の日本人のほとんどだと思います。
当たり前すぎて、比較する対象がなくて、自分がそうだと気づきもしませんでした。

何が正しいかなんて誰にも決められませんが、私達は目を開くことはできます。
本屋にいけば、ネットを開けば、教科書以外の本を読むことができます。
テレビを消せば、洗脳じみた垂れ流しを遮断できます。
知りたいことを知り、信じたいことを信じる権利が、今のところ憲法で保証されています。

私はもちろん戦争は知らない世代で、またそこまで極端な左翼教育を受けた世代でもありません。家族に戦争経験者がいて、それが日常の延長に語られる、そういう世代として、戦争は遠い昔のファンタジーでなく、それもまた日常だったこと、それがほんの数十年前で、現実はシームレスにつながっていること、今の人も戦前の人もそう変わらないこと、そんなことを、いつかもっと上手な言葉で、伝えられるようになれるといいな、と思います。

ごく私見ですが、終戦前の人と、今の人、違うところは、家族、同胞への愛好深さだと思います。
戦後、私達はアメリカ式の個人主義を叩き込まれて育ちました。
個人主義の上に、表面的な愛情は美徳と教わりました。
でも終戦前の人々は、もっと当たり前に、意識するほど善意すらなく、家族のこと、仲間のことを、自分のことのように感じていたのではないかと思います。

家族のこと、私のことを、当たり前のように無償で愛してくれた祖父が、本当に大好きでした。

2 件のコメント:

  1. 私も祖父が大好きで、祖父も職業軍人でした。
    祖父は無線の腕を買われて陸軍の特務機関にいたと、親戚からの話ですが、祖父が亡くなった今となっては真偽はわかりません。

    そんな祖父が言っていたことで印象に残っているのが、「他国に攻め入る戦争は絶対にやってはいけない。日本の領土に攻め入られた時だけ戦えばいい」という言葉でした。実際に戦争に行った人の言葉なので、当時私は中学生でしたが重く受け止め記憶に残ってるんだと思います。

    祖父にたくさんもらった愛情を、なにがしかの形で誰かに分けてあげたいと思ってます。



    クレムリン1丁目1-1 プーチン行

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  2. いまでは戦争を経験した世代も減ってきて、生のお話を聞けるのは
    すごく貴重ですよね。
    生きているうちにもっと聞いておけばよかったなーと思います。
    終戦前世代の家族愛、深いですよね…
    当時はおじいちゃんおばあちゃんは孫好きなものか、位にしか
    思ってませんでしたけど、今思うとまた違った種類のもののように感じます。
    それから有事にはやはり手に職があると強いですね!
    素晴らしいお言葉を残されて羨ましい限りです!

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